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発達障害(グレーゾーン)の息子の現状と、息子氏を通して見た世の中の話

子供

うちには発達障害(グレーゾーン)の息子氏が居る。

今となっては「居た」と言う表現が正しいのかもしれない。

ちょっと人より抜けているところや、片づけられないところはそのままで、息子氏の部屋はカオスなことになっているが、上記記事で書いていた多動はなりを潜め、授業も落ち着いて受けている。

そんな息子氏は今では通常学級に戻り、他の子と同じように普通学級で授業を受け、今年の4月からは「中学3年生! 受験生! 学校どこにしよ!?」と、あまりこう表現はしたくないが「普通の子」として過ごしている。

やや発達障害(グレーゾーン)の判断は正しかったらしく、何とかいわゆる「普通の子」としての日常生活を歩み始めている。

発達障害(グレーゾーン)の息子氏の現状

冒頭にも書いたが、すっかり落ち着いた。

小学一年生の頃は多動が激しく、授業もおちおちまともに受けていられなかったが、二年生で特別支援級のある学校に転校し、先生たちの支援を存分に受けながらすくすくと育った。

その頃はまだ特性がばっちり残っていたが、二年、三年、四年……と進むうちに少しずつ特性はなりを潜めていった。多動はなくなり、徐々に通常学級への授業への参加をしてゆき、授業中に寝てしまうことはあったものの、その度に特別支援の先生が回収しにくるなどしながら、日々を過ごしていた。

親としては、多動で教室を徘徊して他の子の授業を妨害するよりかは、寝ていてもらった方が害が少なく済んだので良かったが。

勿論、トラブルゼロとは言わないが、一年生の時に毎日のように担任の先生から電話を受けていた日々に比べれば、断然落ち着いた生活になっていた。

特別支援に関しては、息子氏以外のところで多少のトラブルはあったものの(後述する)、かね特別支援級の手厚い支援のお陰で、何とか通常学級への復帰を果たしたと言う感じである。

それらはWISCの数値上でもよく表れていた。

一年生の時はWISCⅢ、小学五年生にWISCⅣをそれぞれ受けた。種類は少し違うので完全な比較はできなかったものの、大分改善しており、突出した値はほぼなくなり、ほとんど平均のまったいらになっていた。

ある意味、特性で得意だったもののが無くなったとも表現できる。確かに、この頃から算数がだんだん出来なくなり、読解力を求められる国語が急に伸び始めていた。そして今のその傾向が続いている。

WISCは市が管轄する教育センターで受講したのだが、担当してくだった方が同じ人で、「あら、すごく落ち着いたわね~!」とても吃驚していたのはよく覚えている。

こうして息子氏は、やや特性が残っているものの、すっかり「普通の子」となり、今となっては「近くの高校はここで、このどっちかに受からないと自転車通学できないよ!?」「ちょっと勉強、頑張って~!」と、何処の親も言っていそうな、ある意味、贅沢な悩みを持てるまでになった。

結果論となってしまうが、恐らく、一年生の段階で特別支援に行くことを決めてなければ、こうして通常学級に戻ってこれなかっただろうと私は思っている。

同じ特別支援級に通っていた子たちもそれぞれの道を歩み始め、更なる特別支援校に行っている子も居れば、同じ中学の特別支援級に通い続けている子も居る。

逆に無理に通常学級にこだわり引きこもりになった子も居れば、学力の関係で本人の意向とは関係なく特別支援級に行かざるを得ない子たちも居た。

一概には言えないが、やはり環境は大事なのだなと痛感した瞬間だった。

発達障害(グレーゾーン)の息子氏を通して見た世の中の話

さて、ここで後述すると言った話をしてみようと思う。

本当にあった話なので、多少フェイクを入れるが、恐らくどこにでもありうる話だと思われる。

上記の記事でも少し触れているが、息子氏が特別支援級に転校してからの二年目に、特別支援でお世話になっている先生方が突然、次々にバタバタと休職に追い込まれる事件が発生した。

わか
わか

な、なにごと!?

最初は「何で?」「急に?」「どうして???」と思っていたが、蓋をあけてみたらなんてことはなかったのである。

要は、モンスターペアレントが登場したのである。正確にはモンスターママか。

直接は恐ろしくて聞けなかったが(下手したら巻き込まれる)、どうもそのママさんが過大な要求を特別支援の先生方に押し付けた上に、その姿に今までちょっと遠慮していたママさんたちまで便乗し「なら、うちの子も!」となった結果の果てらしい。

通常は通学班で登下校するので親同士の接触も参観日などに限定されるが、特別支援となると事情が異なり、送迎している親御さんも多く、そこで毎日のようにモンスターママさんを加えた状態で井戸端会議となると……まぁ、大体、お察しの内容となるワケだ。

私は仕事があり、学童利用だったので、それを知らなかったし、巻き込まれることも無かったと言うワケだ。それだけは心底、良かったと思っている。

結果、どうなったかと言うと、二年ぐらい先生が総入れ替わりとなった。

その間、うちの子も通常学級の科目を増やす予定だったが、当然進まなかった。別にその点は仕方なかったので別にいいやと割り切っていたが、例のモンスターママさんが同じようなことを言いながら憤慨していたのだ。いやいや、お前のせいだろうよ。

こういう親の特徴……と言っては何だか、自分に原因があるとミリも思っていないのだ。そして、恐ろしいことにコミュ力が高く、圧倒言う間にママさんネットワークを構築していたので、下手に何かしようものなら、こちらが返り討ちにあう危険性もあった。

過大な要求とは表現したものの、そのモンスターママさんの言うことは一見、正論だったので手に負えなかった部分も多かった。だが、先生方=現場の人間にそれを全て押し付けるのは無理難題と言う話だった。

傍から見ていると「すげぇな。あと、巻き込まれないようにしよ」となるしかない。先生たちはひじょうに気の毒だが……。

で、その末にどうなったんだと言う話だが、そのモンスターママさんの子は引きこもりとなった。

他の子も、この先生とならお話できる! という先生を失ってしまいふさぎ込んでしまったり、ここに転校してきてからは子が笑うようになったというお母さんの姿も見なくなったし(たぶん荒れたのでまた別のところに転校したんでは)、学校から逃亡する子も出てきたりと、色々とあった。

要は、現場を荒らすだけ荒らして、結果的には当事者の子供たちが泥をかぶる羽目になったのである。

うちは親子共々、先生はもちろん他の親御さんにも依存するような親子ではなかったので(どちらかと言うとドライな人間関係を好む)、被害は最小だったと思われるが……今でも「本当に何だったんだ……」と言うお気持ちでいっぱいである。

この話を見て、何だか似たような話題をつい最近、見た気がするぞという人はお察しが早い。

自称インフルエンサーの車○子ユーザの人である。最初に言っておくが、あの人はただのカスハラだ。車椅○とか障○者とか一切関係なく、ただのカスハラである。

私があの女の人の親だったら、恥ずかしくて、娘の横面をはたいてでも映画館に謝罪に行くレベルである。私、あの女の人の親じゃないけど、親目線で見ると、本当に恥ずかしい気持ちで申し訳なくなる。

要は、趣旨や方向性は違うと言えど、上記のようなことが起きる危険性を孕んでいる言う話である。理解している人は、自称インフルを擁護などしないだろう。

まとめ:色々とあったが、息子氏が落ち着いてくれてよかった

とは言っても、恐らくこれから社会に出て、息子氏はやや残っている特性と向き合い、苦しむことになるのかもしれない。

だが、私にはもうどうにもしてあげられないと正直、思っている。

さすがに、どこかのカスハラ様みたいなことをしていれば、それこそ親の責任として殴ってでも止めにはいくが、現段階で言えるのは息子氏には、そんなことをしないで欲しいと心より願っている。

わか
わか

確かに、この世の中は、貴方が生きづらい世界かもしれない。だけど、全てを人のせいにしていたら結局、生きにくくなるのは貴方なの。家では自由にしていい。気に入らないならママのせいにすればいい。だけど、そうやって誰かのせいにして生きていくのが貴方の幸せなのか、よく考えて欲しい。

何度も、何度も、泣きながら、暴れる息子氏に言い続けた言葉である。

少しは息子氏の心に届いているのか、何だかんだで年頃の子より優しい子であるし、反抗期も来ておらず、同級生に揶揄われようが私のことを未だに「ママ、ママ」と呼び続けている。

正直、この先、まだまだ分からないが、この精神だけは忘れずにいたいと思っている。

ではでは、この辺で!

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