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【身内は敵?】発達障害(グレーゾーン疑い)の息子を特別支援学級に通わせるまでに至った経緯のお話

子供
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「二児ママ」とあるように私は二人の子の母親だ。どちらも男の子で毎日毎日、家が本気で破壊されかねないと思うほど元気に飛び回っているわんぱっく子どもである。最早、弟くんがお兄ちゃんの机からマジックペンを盗み出して、そのペンでデカデカと壁紙に「エレベーター!」の落書きをしてしまったって空笑いしか出てこないレヴェルである。

と、まぁ、弟くんの話から入ってしまったが、今回お話したいのはお兄ちゃん(上の子)の話である。特別支援学級に通うようになって大分落ち着いたが、ここまでに至るまで本当に色んなことがあった。

発達障害の子を持つ世のお母さんやそうでないお母さんたちにとっても、少しでも参考になれば……の思いで、筆を取ってみようと思う。

発達障害(グレーゾーン疑い)と記載したが、うちの子の場合、病院で診断されたワケではない。病院通いしてない諸々の理由は記事内を見て頂くとして、その前提で見て頂ければと思う。
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発達障害について

「発達障害」なのでは? と一歳児の頃から言われていた

発達障害と一口に言っても「アスペルガー」「自閉症」と色々とあるし、私自身理解しきれていないが、うちの子は「ADHD」だろうと一歳児の頃から言われていた。

復職するにあたり保育園に上の子を預けていたのだが、そこではっきり言われた。私自身「やっぱりそうなのかな」と半信半疑ながらも「そうかもなぁ」と思っていた。

  • 言うことをきかない
  • 黙ってられず、じっとしていられない
  • とにかく多動

初めての子だったこともあり「たまごクラブ」やら「ひよこクラブ」を読み込んでいたことや、丁度「発達障害」への認知が広まり話題がのぼることが多い時期だったため、発達障害の特性は何となく理解していた。うちの子、当てはまるよな……常々、思っていた
保育園の先生に言われたこともあり、実母や夫、義母に早速、相談した。だが、「まだ、一歳児なんだから」「男の子なんだから」と一蹴された。保育園の先生も気を遣ったのか「まぁ、まだ小さいので何とも言えませんが……」と遠慮がちに言っていたこともあり「そういうものなのかもなぁ」とその頃の私は流してしまったのである。

後悔……とまではいかないが、この頃からちゃんと行動していればもしかしたら……と思うことは今でもよくある。

「発達障害」? のまま、小学校へ通い始めたはいいけれど

なんやかんやで「落ち着きがない」「先生のお話を黙って聞いていられない」と叱られることは多かったものの、就学時検診も問題なくパスし、先生方のご尽力と本人のご愛敬で卒園した保育園。

だが、この頃になるとさすがの私も分かっていた。この子、発達障害(グレーゾーン)だな。だが、いっこうに身内は誰も信じてくれない。特に夫は「ちょっとヤンチャなだけで優しい子」「なんで病院なんか!」と猛反対。診断のために病院にも行かせられなかった。

そう、上の子は一見、初対面だろうと誰にでも懐く可愛い子だった。だが、すえながーく付き合っていくと……「あれ?」「うん?」と疑問が生じ、だんだんと疑惑は確証へ……という感じなのである。就学時検診もそのノリでパスしたのだろうと思いつつ、いやいや実際にまだ弊害が出たワケじゃないし……と一抹の不安を抱えたまま、小学校へ。

嫌な予感は的中した。

  • 授業中にじっとしていられず席を立ち、ウロウロしてしまう
  • テスト中、答えを口に出して言ってしまう
  • 何時にココに集合と言われても、それを覚えていない・出来ない

代表的なものはこんな感じだが、毎日毎日担任の先生から電話が来るくらい、問題を起こしていた。

特に、一番頭が痛かったのは対・女の子。面倒見の良い女の子の場合は女の子様々でうまくいっていたが、そうじゃない子との折り合いが最悪だった。機嫌を損ねたうちの子が仕返しに鉛筆を舐めたり、定規を折ったり、その子の歯ブラシをわざと使ったりと、とにかく女の子に嫌がらせをする結果となってしまった。連日、弁償の品やら菓子折りを持って頭を下げて回る日々である。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

ここまで来ると当然、学校側も黙っておらず(そりゃそうだ)、教育センターで「WISC-Ⅲ(知能検査)」を受けてみてはと勧められた。渡りに舟とばかりに私は即座に了承した。なお、ここまで来ても、身内は「そんなワケない」と呑気に言っていた。

「発達障害」疑いとWISC-Ⅲの結果で判断される

もう身内は信じられない。藁にも縋る想いで教育センターに行き、WISC-Ⅲの説明を受け、夏休み期間中にWISC-Ⅲを実施した。判定は「グレー」。高いものと低いもののポイント差は10以上。言語理解や注意記憶が低く、処理速度は速い。完全なる視覚優位と出た。不謹慎かもしれないが、やっぱりなと肩の荷がおりた気がした。

一概には言えないが、平均値におさまらず、かつ、各項目のポイント差が大きい=バランスが悪い故に障害が発生していると言えるようだ。

だが、あくまでも教育センター。病院ではないので「診断」されたワケではない。教育センターとしては週一で療育指導するとの話だったので、少しでもよくなれれば……と、それに従った。

が、意外ともう事態は深刻なところまで来ていたのである。

「発達障害」の子とそれに付き合っていた私

簡単に言うと、子供も私も疲弊していた。子は髪をかきむしったり、鉛筆や爪をかじるなどの自傷行為が出ていた。私は私でそんな子に付き合わざるをえない結果、精神的におかしくなりかけ、子と真正面から向き合うことを避けるようになっていた。

そんな状態で、週一の療育指導は焼け石に水だったのである。

いわゆるペアトレーニングも行ったが、私(親)がなじられることも多く、ここまで来ても(上の子が発達障害グレーだと)認められない身内との板挟みにもなり、精神的に耐えきれなくなった結果、私は夫に丸投げした。だが、夫も内心は「普通の子なのに、療育指導なんて」とでも思っていたのだろう。ただ、ただ苦痛で、無意味な時間だった。

「発達障害」疑いの子に勧められた道

この頃になると併せて、学校での面談も月一ペースで行われていた。この時に、勧められたのが特別支援学級である。この時の私からすればもうそれ自体、異論はなかった。

詳しく聞くと、教育委員会レベルまで話は行き、そこで「うちの子は特別支援学級が望ましい」決定したとのこと。思っていたよりも大きな問題だったようだ。本当、すまねぇ……という感じだった。

ただ、嫌らしいなと感じたのは勧めておきながらも「特別支援学級にするにしろ、しないにしろ、あくまでも両親の意向に従う」と学校側は何度も言い張ったことだ。まぁ、多大なご迷惑をかけていたので苦言など言えなかったが。

今の小学校は知的障害クラスと通級クラスしかないため「特別支援学級」に決めた場合、別の学区の小学校へ転校しなければならない。

通級は週一実施だと言っていた。週一……療育指導(週一)で成果が望めないことは分かり切っていた。が、念のため「通級はどうなんですか?」と伺ったところ、「既に人数がいっぱい」の回答を頂いた。

このまま普通学級に残った場合は配慮して貰えるのか、それも質問した。答えは曖昧だった。出来れば担任の他に補助の先生をつけたいが、予算が出るか分からないと言っていた。結局は金(そこ)に行き着くのか。

もう腹をくくるしかなかった。既に追い詰められきっていた上に、身内はアテにならんと切り捨てた私は「(一応、夫に確認するが)特別支援学級に進む方向で検討します。転校する前提で話を勧めてください」と断言した。

あまりの即答ぶりに先生方のほうが戸惑っていた気がする。

だが、悩んでいる時間など実際、ほぼ皆無だった。

転校となると学童も変えないとならない。時は10月下旬。保育園や学童申し込みしたことのある方ならご存知だと思うが、4月入所の受け付けは(市町村にもよるが)11月締切である。悠長なことを言っている間などなかった。

学童を決めるには、転校先が決まっていないといけない。

先生方が親の私に選択を突き付けるハズが、気が付けばむしろ私の方が「特別支援学級はどの小学校にあるんですか」「早速、特別支援学級を見学に行きたい」「転校先が決まるのはいつですか」「学童申し込みまでに決めないといけないんです!」と先生方をオラオラとあおるカタチとなった。

完全に腹をくくった私は夫にその旨を伝え、特別支援学級の見学へ一緒に行くよう要請した。有無を言わせなかった。人間、追い詰められると開き直って何だって出来るようになるのだ。

特別支援学級を勧められて二週間経ったぐらいだろうか。

転校先が無事に決まり、その最寄りの学童への申込申請書を私は市役所に提出していた。

「発達障害」疑いの子自身は

冒頭で書いたとおり、大分落ち着いた。自傷行為も減った。人様に迷惑をかけることは……まだまだあるが、落ち着いた環境で適切な指導をしてくださった先生方のご尽力もあり、子みずからお礼を言ったり、謝罪することが出来るようになった。

連日の電話もなくなり、私も気持ちにゆとりがうまれ、子と目を合わせての会話が徐々にだが出来るようになった。

特別支援学級への転校を決めたあの日、子にも話をした。納得はしなかったが、反対もしなかった。子は子なりに生きづらさを感じていたようだ。新しい学校に、新しい友達。人見知りなく、人なつっこい子なのでその点はまったく気にならなかったようだ。

「発達障害」疑いの子を持つ身内の反応

実家の方は「もうちょっと様子を見れば良かったのでは」とありきたりな反応を見せたものの、専業主婦であり時間にまだ猶予のある実母は「何かあれば」と協力的な姿勢だった。正直、大変助かっている。

義実家の方は行く度に義母から善意という名のオブラートに包んだ嫌味を頂くが、聞く耳を持たず空返事をして凌いでる。

「あの子が特別支援だなんて……普通の子なのに」
「そうですね」
「あの子は何も悪くない。親の決めつけが良くない」
「そうですね~(聞いてない)」
「教育委員会に訴えればいいじゃない」
「その教育委員会が決定したことですよ」

行く度にこのやり取りである。

あの子のことを色眼鏡で見ているつもりはないけれど、の前置きを置いてから繰り返される会話も最早慣れたものである。

だが、義母は車の運転も出来なければ、住んでいるところも車で一時間ほど離れている。干渉される恐れはない。車の運転ができた義父は認知症になった末に数年前に亡くなった。

「じゃあ、義母さんは何故、義父さんが認知症になった時、独断で施設に入れることを決めたのですか?」

こう聞けば、義母も黙らざるを得ないと分かっていたが私も鬼ではないので言っていない(ココには敢えて記載しないが、この時も義実家内は大分モメた)

よくよく考えれば「うちの子を発達障害だと決めつけるな!」と口うるさく言っている夫も、私に言うだけで実際に学校に赴こうともしなかった。今更になって「何かあれば俺が学校に行く」「俺が電話対応する」など言っているぐらいだ。いや、もう、別に特別支援学級の先生方と親密にコンタクトとって上手くやっているから今はいいよ。事が起きたらトンズラするくせに、解決した頃になって姿を現すクズ上司の図だ。

あぁ、此の親にして此の子あり、の誤用の方か。

所詮、みんな、自分が大切、自分が可愛いのである。

さいごに

書いてて私自身感じたが、子の意思が尊重されていないのではと思われる方も多いだろう。

ただ、逆に思うのだ。何をしても、何を選んでも、誰かしらには親のエゴと指さされるのだ。それならば、自分の意思を尊重した方が数倍もマシだ。現に私は、自分で動いて決めた選択肢に救われた。身内の意見に耳を貸したままだったら、私は未だに自分を見失っていただろうし、子と真正面から向き合うことも出来なかっただろう。

発達障害の子と向き合うには、知識も体力も精神的余裕も必要だ。かつ、周囲の理解が大事だ。確かに発達障害の子は一見、健常児と何ら変わりない。私も自分の子が発達障害にならなければ本当の意味で理解できなかったかもしれない。

私    「プールカード用意した?」
弟くん  「あ、忘れてた~!(体温をはかり、カードを私に持ってくる)」
お兄ちゃん「あ、忘れてたー!(何もしない→何をすべきかの説明を聞いていない・覚えていないので何も出来ない/プールカードの用途を理解していない)」

同じセリフでも、これぐらいの温度差がある。雲泥の差だ。だからこそ、お兄ちゃん(上の子)にはどうしてこれが必要なのか、どういう時に必要なのか、誰に提出すればいいのかといった説明(支援)がどうしても必要なのだ。
(些細な差と思われる方も居るかもしれないが、これが毎日、同じ内容で何度もやられるとすさまじく疲弊する)

発達障害とくくったがこれはあくまでもうちの子の場合、一例だ。理解しろとまでは言わない。ただ、実情として、こういうことが実際に起きている。

もし身内でもしかしたら……という子がいたら、このことをふっと思い出して頂ければと思う。味方になってとは言わない。そっと見守って欲しい。身内に理解がないというのは大変辛い。

大分、端折った感はあるが少しでも参考になればと願うばかりだ。

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