読書嫌いでも読めそうな近代文学を紹介してみようと思う。
スマホで読む場合は「青空文庫」で検索すれば、それらしいビューワがひっかかるだろう。私は「i読書 – 青空文庫リーダー」基準で書かせていただく。
今回は島崎藤村についてである。
おすすめはこの辺である ※題名(ページ数)
近代文学は言い回しが独特でその辺がネックという人も多いが、分からずともとりあえず、インスピレーションでさらっと読んでしまうと意外と面白い発見がある。
上記で紹介したものはページ数も短いので、パラパラと雰囲気で読んでも良いだろう。短いので、全文に対して思ったままを書くだけで読書感想文にもなる。
忠実を調べた上で書いているが、明らかに間違っている部分については引用元を添えた上で指摘を頂ければと思う。
「島崎藤村」についてさらっと紹介
私自身は教科書でエンカウントしなかったが、「破戒」「新生」辺りで有名な自然主義作家である。
ちなみに破戒(550)と新生(925)は長い。私自身、まだ読めてない。読みたいけど長い……!
自然主義とは「現実のありのままを、まったく客観的な立場で観察し、描写している作家」のことだ。なので、自伝的なものが多く、島崎藤村も例にもれない。
ありのままを美化することなくつづっていることもあり、近代文学の中では読みやすい部類の作家だと思う。また島崎に関しては元々、詩家ということもあり、情景描写が綺麗である。
萩原朔太郎の「猫町」辺りが好きな人は読めるんじゃないだろうか。
島崎は元々、詩家で「若菜集」という詩集を刊行しており、あの北原白秋がそれを愛読し影響されていたそうだ。
北原白秋の名を知っている人は多いだろう。有名どころは「あめあめ ふれふれ かあさんが♪」(あめふり)の作詞だ。
それから自然主義作家となり先の「破戒」「新生」を執筆している。
詩家から自然主義作家になるまでのエピソードは以下の漫画でも描かれている。
コミックウォーカー 恋する民族学者
話の中心は同派の田山花袋と松岡國男であるが、島崎もそこそこ登場しているので人なりを知るには良い漫画だ。こちらを読んでから小説を読むと、すっと入ってくる部分があるだろう。
島崎藤村で有名どころのエピソードは
だろう。
どっちも検索すれば、らしい話が検索でかかるので詳しくは記載しない。
が、姪の件は島崎自身がと言うより、姪の方がぞっこんだったようだ。確かに「新生」を読むとそのような描写がある。まぁ、島崎自身は作者なので、自分に都合の悪いところはカットしたとも取れるが。
この辺は確かな忠実がないので何とも言い難いが島崎自身、残っている写真を見ると確かに端正な顔立ちなのだ。むちゃくちゃ、私の好み(聞いてない)
後々紹介する「犬」の中でも、自分で言うのも何だが自分はイケメンだぜ(要約)と書いてあって、思わず吹いた。
芥川龍之介と不仲というのは、芥川が「或阿呆の一生」と「侏儒の言葉」で、「新生」のことを一行ほど批判した件や、島崎が「芥川龍之介君のこと」で長々と反論(?)したことにあるようだ。
芥川龍之介の「或阿呆の一生」と「侏儒の言葉」は青空文庫で読めるが、島崎が長々と批判した「芥川龍之介君のこと」はまだない。心待ちにしている。
そのころの芥川龍之介は晩年の時期(自殺する数年ほどの出来事)である上に、「或阿呆の一生」は芥川本人が書いてないのでは? 疑惑もある。
ただ、芥川龍之介と仲が良かった谷崎潤一郎が「文壇昔ばなし」にて「もっともアケスケに藤村を罵ったのは芥川」であり、滅多に悪口を言わない芥川が書いたのだから余程嫌いだったんじゃね?(要約)と書いているので、仲は悪かったのは事実なようだ。
むしろ、芥川が一方的に島崎を嫌っていたという解釈が正しいのか。
また、どちらかと言うと芥川と不仲……と言うか相性がことごとく悪かった印象を受けるのは同じ、自然主義作家である徳田秋声の印象がある。
前者については当時、当たり前に行われていたこともあり言いがかりレベルらしいが。
徳田秋声は(失礼ながら)あまり認知されていない作家なので、同じ自然主義である島崎と混在されている部分も少なからずあったんじゃないだろうか。
まぁ、本当のところは今となっては誰にも分からないことなのだろう。
「島崎藤村」の著書紹介
順番は私が読んだ順なだけであって、特に時系列とかではない。
三人の訪問者(10)
私に「冬」「貧」「老」が訪れてくるという話。私はそこから何かしらを学んでいく不思議なお話だ。そして、最期に誰かが訪れてきたような……? でしめくくられる。
「私」に対しての言及はないが、島崎自身なのではないかと私は感じたが……「新生」執筆後の四十代で書いていることから違うのかもしれない。
島崎はこれに限らず「雪の障子(6)」「路傍の道草(5)」など冬が関係した短編をよく見かける。
若い頃、東北地方に居たことからだろうか。
犬(12)
芥川が犬嫌いだったなぁ、と思いながら題名だけで適当に読んだら、例の自分で言うのもなんだが自分はイケメンだった(要約)描写があり、印象に残ったものである。
私には人に愛せらるゝ性質があつた、人の心を引くに足るだけの容貌もあつた。自分で言ふも異なものではあるが、私はよく手入れをした髪と、隆い筋の通つた鼻と、浅黒くはあるがしかしきめの細い光沢のある皮膚とを持つて居た。
犬 島崎藤村(青空文庫より引用)
いつ頃執筆されたのか不明だし、著書内の「私」が島崎自身かは分からないが、勝手にそうなんじゃないかな~と読むと、なんだか面白い。
犬の話より、そっちの方が強烈に残って、犬ってなんぞやと思ってしまっているが、料理屋に行ったら人の言葉が分かる犬が居て、とか言う話だった気がする(ウロ)
幸福(6)
児童文学向けに書かれたもののようで、かなり短いお話である。
「幸福」がいろいろな家へ訪ねて行きました。
島崎藤村の「幸福」より引用
と、まぁ、察しの良い方は、なんとなくこれだけで内容が読めるんじゃあないだろうか。
何処となく、どこかで読んだことのあるような……を感じさせるお話だ。
分配(49)
廉価版出版により、思いがけない収入を得た島崎が子供たち四人に印税を分配する話である。
これは著作なのか……? 覚書のようなものが残っていて、青空文庫に載せられてしまった系なのだろうか。まぁ、島崎なので自伝小説と言ってしまえば、そうなのかもしれないが、これ当時でも公にされていたら泥棒に狙われてしまいそうな……と思わなくもない。
これまた当時の状況がよく分かる話である。
当時とお金の価値が大分違うのでアレだが、多少想像がつくように話すと、一ヶ月の生活費が何十円レベルで済む時代で、二万という大金を得たという話である。
どうやら当時からすると利息だけでも十分、生活ができるようだ。なんて羨ましい。
だが、島崎は
金の利息で楽に暮らそうと考えるようなことは到底自分ら親子の願いでないこと、そういう話までも私は二人の子供の前に言い添えた。
島崎藤村の「分配」より引用
と言ったようだ。
島崎の台詞がちょいちょい子煩悩な感じで、終始かわ……ごふんげふん。
再婚について(6)
こちらもほのぼの系(?)である。
題名(?)の通りの話で、島崎の再婚についてを子に知らせる書簡のようだ。
これを読んだ子がどう思うのか、はらはら心配しながら書いたような感じである。子にお伺いをたてる、島崎先生かわいい。
この書簡からも島崎が、簡素でつつましい暮らしを好んだ(のかな?)様子が伺える。
最後の締めの言葉が島崎らしいと言うか、この手紙を出すのに大分、葛藤したんだろうなぁ、と思うような結びでちょっとくすっとしてしまった。
短い書簡なので是非、自分の目で確かめて頂ければと思う。
藤村詩抄 島崎藤村自選(448)
「若菜集」などの数冊の詩集から、島崎が自選された詩が掲載されている。リーダーだと目次があるので、目的の詩に飛べて便利である。
すべては見ていないが有名どころの「初戀」が掲載されている。
個人的には「かもめ」の「波に生まれ 波に死ぬ」という言葉が好きだし、題名だけで選んだ「哀歌」も好きである。
「哀歌」は後ページに日本語訳がある
パラパラめくっていると綺麗な音や言葉に出会えそうだ。
突貫(24)
「破戒」の自費出版のため、函館に居る妻の父親にお金の工面を頼みに行く話だ。
島崎は結構、後先考えずに文学のことになると突進していくようなところがあるな~という印象を受けた、題名にもそれが出ているんじゃなかろうか。後に、坂口安吾が「文学に生真面目な人」と島崎を表現するぐらいなのだから、それだけ真摯に向かい合っているということなのだろう。
最初に出てくる最初の産物であり、発売禁止となったのは「旧主人」のことだろう。
発売禁止となった理由とは関係ないが、人様の生活の一部を拝借してこの頃は作品を書いていたようだが、やはり度々問題となって自伝小説へと切り替わっていた旨を、田山花袋記念館絡みの何かで読んだ記憶がある。
まぁ、そりゃ、そうだよね。
「破戒」が生み出されるまでの苦悩が知れる、自伝小説のひとつだった。
芽生(71)
「破戒」執筆前後で三人の娘が栄養失調などで亡くなった辺りの自伝である。
これ読んで分かったが、本当に客観的に淡々と描かれているし、そのセリフをこの場面で言っちゃう!? な場面もそこそこある。
島崎のこういうところを「冷たい」「人でなし」と思うと、好きになれないのかなと思う。
ただ、現在(令和)とこの頃(明治)は時代も違うし、考え方も違う。
島崎にとってみれば素直に記載し、著書として残ってしまっただけであり、その時代の考え方に沿うとごく当たり前の感情だったようにも思う。
これに対して、二十年後に志賀直哉が「邦子」にて上記のことを読んで腹をたてたと言及しているが、金持ち坊っちゃん(志賀は家が裕福なのである)には到底、理解できないだろうよ……と正直、思ってしまった。
二十年前の著書への言及という点を加味しても、文壇からすると目の前のたんこぶ的な存在であった島崎老家へのただの言いがかりに近かったのでは、と私は感じている。
ちなみにこの後、志賀直哉は逆に太宰治に「この老大家がっ!(要約)」と言及されることになる。こうやって見ていくと面白い。
桃の雫(260)
短編集だろうか。
冒頭の「六十歳を迎えて」の言葉が好きだ。
ほんとかよ! とも思うが(内容はほんの数行なので、実際に読んでみて欲しい)
計算が間違ってなければ、この五年前に「芥川龍之介君のこと」で長々と言い訳しているのだが……。
六十歳迎えてからだったなら、あんな長い声明をしなかったのだろうかとふと思ったこともあり、と言うところだ。
そういう意味ではその後、志賀直哉や坂口安吾になんやかんやと言及されても、島崎は(著書上では)言い訳していない。興味がなかっただけなのかもしれないが、こうして見ると(芥川の死後と言えど)反論していた事実は興味深い。
桜の実の熟する時
読了直後に書いたので他より遥かに、感想(?)の熱量がおかしい。心して読むように。
こちらはまだ青空文庫では読めない(20/09/19現在)
私は岩波文庫ので読んだ。後述に注解があり、ある程度の語句の意味が分かるようになっている。
あと表紙に21歳の島崎藤村の写真が載っている。メガネをかけてないイケメン。
藤村が学生の頃から明治女学校の教師となり、初恋にやぶれ、流浪の旅にでるまでの自伝小説である。
初恋相手である軸子とのぴゅあぴゅあな恋愛小説を読めるのかと期待したが、そんなことは無かった。後半に、さらっと触れるだけである。その辺りのこと辛くて書けなかったのか。
若くて貧しい捨吉は何一つ自分の思募のしるしとして勝子に残していくような物をもたなかった。わずかに、その年まで守りつづけて来た幼い「童貞」を除いては。
「桜の実の熟する時」(島崎藤村)より引用
捨吉が藤村、勝子が軸子である。
こんなことを思っていたらしい。ちょっと引く。ただ一番印象に残った言葉で、率直で藤村らしい表現だ。
芥川に嫌われたのって、こういうところなんじゃないかと偶に思う(偏見)
割合で言えば、島崎の文学に大きな切っ掛けを与えた北村透谷の話の方が多かった。
しかも、冒頭から年上の女(軸子ではない)との恋愛云々を周りからとやかく言われた末に別れ、悩んでいる姿から入る。別の女かよ。
青春期らしく、ぐだぐだと悩める藤村の姿を、その当時の風景描写と共に読む感じである。
文体としては少し硬く、読みにくいかもしれないが、藤村らしい綺麗な言葉の数々が織り込まれた話だ。
思わず彼は拾い上げた桜の実を嗅いでみて、おとぎ話の情調を味わった。それを若い日の幸福のしるしというふうに想像してみた。
「桜の実の熟する時」(島崎藤村)より引用
まだ若いさかりの彼の足は踏んで行く春の雪のために燃えた。
「桜の実の熟する時」(島崎藤村)より引用
大正という激動の時代の中、このような言葉が紡ぎ出されていたのかと思うと感慨深い。
「桜の実の熟する時」は「春」のプロローグ的な話のようなので、「春」を読む前に読むといいかもしれない。
春
こちらもまだ青空文庫では読めない(20/09/19現在)
時系列で言うと、「桜の実の熟する時」直後の話となる。そこそこ長い話だったが、すらすらと読めた。
島崎が夢に生きるか、現実を生きるか、まさに葛藤している時代の話だった。その中で青木(北村透谷)の死、勝子(軸子)の死、実家のごたごたと不幸が重なる場面が淡々と描写されている。
当時の状況がまさに、リアルに描かれている感じだった。
私が個人的に感じたのは時代は変われど、人々の想いは根底からは変わっていないのだなと感じた。
特に、岸本捨吉こと島崎の葛藤は、今まさに現実を生きる私の中にあるものと何処となく似ているなと共感を覚えたくらいだ。
また、「桜の実」では捨吉視点のみだったが、「春」に関しては青木(北村透谷)と勝子(軸子)視点など、第三者視点も存在する。
勝子の視点を借りて、島崎自身のことを卑下するようなことも書かれていた。
岸本は自分勝手の塊である。彼の恋は人と一緒に死のうという恋で、人と一緒に生きようと言う恋ではない。彼は何事も人のために尽くそうとしない。殆んど人のことを考えない。彼は深く愛するように見えて、その実すこしも愛しているのではない。彼は真に解する人でない。またある人に言わせると、岸本がツレナく見えるのは、あれは思わせ振りである。
島崎藤村の「春」より引用
私はこの部分、とても好きである。私もこういうところがあるので。
唯一違うなと思った部分は「彼の恋は人と一緒に死のうという恋」という部分だけだろうか。と、言うか、島崎も違う印象を受ける。死ぬなら独りで勝手に死にそうなイメージだし(私の想像の範疇である)、それ以前にしぶとく生きて居そうだ。
現に、島崎は数々の墓標を見送りながら、生き抜いたのだから。
また、青木こと北村透谷の視点はリアルだ。恐らく、彼が遺していった作品を整理したのが島崎だったからこそ出来たことなんじゃあないだろうかと思う。
最後は、度重なる不幸でどんぞこまで落とされるも、時が経つにつれ、契機が見つかり、一筋の光を目指して生きていこう、的な希望を感じさせるような雰囲気で終わっている。
まぁ、忠実を辿ると、まだまだ「序章」と言えてしまうのだろうが。
寂しい降雨の音を聞きながら、何時来るとも知れないような空想の世界を夢みつつ、彼は頭を窓のところに押付けて考えた。
島崎藤村の「春」より引用
「ああ、自分のようなものでも、どうかして生きたい」
また、「春」では当時の大審院の様子や、学生たちの様子もちらっと書かれていて、某親友二人を思い出した。成人している人の詰襟って良いな(腐女子のたわごとなので気にするな)
まとめ:著書を読むと島崎藤村の半生が追える
自伝系が多いので、半生が追えてしまうなぁ、と。
私自身まだまだ読み切れていないが、死ぬまでにはその半生を追ってみたい作家のひとりである。
島崎藤村の著書を見ていると、言葉を残したもの勝ちだなと思わなくもない。記録がなければそれまでなのだから。
著書にはその人の本質的な部分が刻まれている。
機会があったその時に、幾つかの触れるきっかけになってくれればと思う。
ではでは、この辺で。
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