私が住む場所にて、発達障害にて病院に通わせる場合、最終的に行き着く先としては小児医療センターもしくは某大学の二択しかない。
しかも、そこに行きつくには
が待っている。
噂では聞いていたけど、うわぁ……
でも、そろそろ覚悟を決めて……と思っていたが、実際にその過程を経て受診したお友達のお母さんがこんなことも言ったのだ。
育てるママ
でね、受診した時に先生に言われたの。『それで今後、お母さんとしてはどうしたいの?』って
は……?
私はその一言を聞いて、病院通いしなくてもいいやと決意した。
「発達障害児」の子を持つお母さんがどうして病院を受診させたいと思うのか
少なくとも私は、自ら進んでいきたいと思ったワケではない。
発達障害児(と言われている)子を家でのらりくらり、自由にさせている分には問題ないからだ。
保育園も(そこそこ色々とあったが)ギリギリセーフだった。問題は、ルールがより厳しく、より厳格な集団行動を求められる小学校生活から始まる。
このことにより、
のだ。うちの子も大概、以下の問題行動を起こして、毎日のように電話がかかってきた。
そして、この後にこう言われた。
専門機関で検査して貰った方が良いかもしれませんねぇ……(控えめに)
親の意思というより、義務教育上の都合でそういう話になっているのだと私は感じた。
では、先生がそういうのなら……と苦労して予約した先で、WISCテストを受け、診断待ちをし、やっとの思いで辿り着いた一年後、病院の先生に先の台詞を言われた時のことを想像してみようと思う。
それで今後、お母さんとしてはどうしたいの?
そんなの「こっちが聞きたいわ!」と言いたくなるのではないだろうか。
「発達障害児」を取り巻くリアルな状況について
発達障害は親のしつけ云々の話ではないことは段々と知られてきている昨今だが、では実際に発達障害児に出会った時、どう対応すべきかはあまり知られていないように思う。
学校の先生でさえ「専門機関で検査を」を繰り返し、学校で我が子がしでかしたことをそのまま伝えてくるような状況である。
親としてこれ以上、何をしろと ……
ペアトレーニングで結果はすぐに出てこない。むしろ、先生や周りを巻き込んでやることが望ましい。
専門家が「どうしたい?」と聞くぐらいなのだ。親としてはペアトレーニングを行い、先生にもそれを望むことしかできない。
だが、一度に何十人と指導しなければならない学校の先生にそんな余裕があるだろうか。いやいや、既に疲弊しきっている親とて子と真正面から向き合って、ペアトレーニングする余裕はあるだろうか。
答えは分かり切っているんじゃあないだろうか。
こうして「発達障害児」を持つ親、果てには先生も追い詰められていく
病院の先生には「それで今後、お母さんとしてはどうしたいの?」と言われ、学校の先生には「ペアトレーニング? なにそれ?」(※そんなこと言われていません)と言われ。
義祖母
子供が落ち着きがないのは当たり前! トラブルを起こすのだってお互い様。そんなものよ!
ここに追い打ちをかけるように、身内という名の夫や祖母といった周囲から理解のない言葉もかけられ。
我が子が迷惑をかけたお子さんと親御さんには申し訳なく。罪悪感ばかりが募っていき……と、悪循環していくのではないだろうか。
うちの子の場合は上の記事にあるように特別支援級への転校が決まり、その先で良い先生と巡り会えた。ただ、今年になってからは
と、とてもバタバタしている。順調に進んでいた普通クラスとの交流も、今年度に入ってから少しも進んでいない。そんなこんなしている内に二年間お世話になった先生も病気療養のため休職となってしまった。
もう、どうしたら良いんだろうね(困惑)
もうなるようにしかならないなと腹をくくっている。
まとめ:「発達障害児」と言われるものの、周囲の環境がまったくそれに追いついていない
まとめの言葉の通りである。生きずらいことこの上ない……。
正直、レッテルを勝手に貼り付けられ、騒ぐだけ騒いで、と言う感じで、親としてももうどうしたらいいのよ……状態なのだ。
育てるママ
家の中に居る分には、おとなしいからね……(落ち着いた環境下に居れば、おとなしい部類の子)
当然、小学校には同性代の子がいっぱい居る分、ぶつかり合い、衝突しあい、もあるワケで。私たちも私たちでいわゆる普通の子たちの邪魔をしたいワケでもないし、親としても「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ」と頭を抱えたデッドロック状態(簡単に言うと詰み状態/IT用語ぶちこむな)なのである。
どうしたいの? かは、親が一番知りたい事実(どうすればいいの?)であり、それを知るために病院へ行くのに、その言葉はないだろうよ……。
そして現場の先生方も疲弊している現実である。良い先生ほど病気になり、休職に追い込まれているなんて……。
まとまらないが発達障害児を取り巻く環境の、ある現実の側面として書かせて頂いた。これからどうなるのか、不透明ながらも模索しながらちょっとずつ進んでいければと思っている。
ではでは、この辺で。
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